さば 雲

友がひとりまた一人消えて思い出だけ残る。過ぎてしまえばこの世は残り少なく、今頃ひとりじたばたしている 。

一杯の焼きそば

 萎れる花 (ポピー)3

   鉛筆  1986年作


 私も四十近くになっていた。
 内職のないとき、麻雀でもするほかに心のやり場がなかった。また将棋を指して自分を忘れようとした。


 麻雀は以前、印刷屋の徒弟として入ったとき、そこの主人が好きで覚えさせられたものだ。夜業が終わって卓を囲むと、夜中の一時をすぎたりする。そのときに近所の仕出しからとるお仕着せの焼きそばの一杯が、世にこんなうまいものがないと思われるくらいにおいしかった。汚い仕事着のままで胡坐をかいてすする中華そばの味は、なんともいいようがなかった。自分で金を出して焼きそばが食える身分ではなかった。


 ある貧乏な老婆が世をはかなんで自殺を思いたち、死場所を求めて歩く途中、最後の思い出にいっぱいのぜんざいを食べた。老婆は、世の中にこんなおいしいものがあるのかと思い、死ぬのをやめたという話を聞いたことがあるが、私の経験から、それほど誇張された話とは思えない。


   ◆松本清張「半生の記」より

健康格差 ?

 萎れる花 (ポピー)2

 鉛筆  1986年作


   健康格差とは、生まれ育った環境、就いた職業、所得などが原因で、病気のリスクや寿命の長さの違いが生まれてしまうことを指します。
 現代人は、値段の安い糖質中心の加工食品を食べる機会が多く、相対的に値段が高い野菜果物を摂取する機会が少なくなっています。日本人の所得が年々低下していることが原因であるとされていますが、それだけではないと思います。


 健康格差の最大の原因は、今食べているものが体によくないことを〝本当に知らない″ことです。


    ◆石黒成治「食べても太らず、免疫力がつく食事法」より


  ○糖質には麻薬と同じような依存性あり!

ショックドクトリン ?

  通勤ラッシュ 油絵 F60 1977年作


「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に為政者や巨大資本が、どさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など……。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?


 ◆堤未果のショック・ドクトリン政府のやりたい放題から身を守る方法(本の紹介文)より
 
 21世紀のショック・ドクトリンの最大の特徴は、敵の顔が見えないことです。見えないだけでなく、限りなく増殖していき、今日の味方が明日の敵にもなる。すべてはお金で動いていくので、敵の顔が見えたと思っても、それはどんどん変わり、複雑に絡み合うので、追いきれません。
「ショック・ドクトリン」に出てくる多くの事例が示すように、〝犯人探し〟をしたくなる私たちの本能は常に、国民を分断し、撹乱し、戦うべき相手を見誤るよう、利用されてきました。
 それらを読むと、今世界規模で起きている数々のショックの下でも、同じように情報が狭められ、対立を煽られ、人々が分断されていることに気づくでしょう。
 事物を深く、長く、広く見る力を失い、自分の頭で考えることを放棄してしまった時こそ、ショック・ドクトリンは牙を剥き、私たちはいとも簡単に餌食にされてしまうのです。
 相手は人間ではなく、果てしなき欲望を現実化するための「方法論」に他なりません。
武器はたった一つ、事物を俯瞰して眺め、本質をすくい上げる、人間の「知性」なのです。


 ◆NHK100分de名著 ナオミ・クライン「ショックドクトリン」より

テレビは終わる?

   萎れた花(ポピー) 1 

  鉛筆  1986年作


 さて、私はいったいいかなる立場を代表するコメンテーターとしてお声がけ頂いているのだろうか。おそらく世間からは「ちょっと変わったことを言うリベラル派言論人」辺りに位置づけられているのだと思う。自民党と維新をずっと批判してきているし、共産党の候補者の推薦人になっているし、『若者よ、マルクスを読もう』というような本も書いているから。でも、私自身は自分のことを「右翼」だと思っている。天皇主義者で、「権藤成卿論」を執筆中で、滝行と禊に勤しみ、武道を教えて生計を立てている人間を「左翼リベラル」とはふつう呼ばない。


 二つのネット媒体に出て「テレビはもうすぐ終わる」という思いを強くした。民放はCMを観る代わりに無償で質の高いコンテンツを享受できるというよくできたビジネスモデルだった。
でも、「質の高い」という条件がいつの間にか失われてしまった。「あんなものより、金を払ってもいいから質の高いものを観たい」という人たちが身銭を切ってサポーターになり、ネット媒体を財政的に支えている。


 小さいが個性的な媒体が今次々と生まれている。いずれいくつかのトピックについてはテレビよりネット媒体の方が情報の信頼性が高いと言われる時代になるだろう。


 この現状を見ていると、絶滅に瀕した恐竜の足元を小型齧歯類が走り回る地質学的転換点を連想してしまう。


☆内田樹「AERA」巻頭エッセイより