さば 雲

友がひとりまた一人消えて思い出だけ残る。過ぎてしまえばこの世は残り少なく、今頃ひとりじたばたしている 。

同語反復

 犠牲者

 油絵+ パソコン   1982年作のリメイク


 …この「皆と違う表情」を獲得することにこそ、個人として生きる意味があるのではないでしょうか。と言うのも、われわれは言わば遺伝的に、この「皆と違う」状態に対して準備されているからです。
書き手であるか、読み手であるかにかかわらず、ともかく人間に課された仕事は何よりもまず、自分自身の人生を生き抜くこと。外から押しつけられた人生、指示された人生は、それがどんなに上品に見えるものでも駄目なのです。人生は誰にとっても一度限りのものであり、それがどんな風に終わるか、われわれはよく知っています。
この唯一のチャンスを他人の外見、他人の経験の模倣のために、つまり同語反復のために浪費してしまったら、さぞくやしいことでしょう。
しかも、歴史的必然性の宣伝者たちは人をそそのかしておきながら、いっしょに棺桶に入ってくれるわけでもなく、「ありがとう」も言わないのですから、ますます腹が立ちます。


   詩人という現代の孤独な少数者にとって、残された最善の行為は良い詩を書くことであり、その詩に目を向けず、人々の口をついて出てくる決まり文句に水準を合わせる社会は、やすやすとデマゴギーと暴政にひざまずく。
社会という名の多数派が猛威をふるう時代の中で、一人の詩人であることを選択しつづけたブロツキィが、詩の言葉を読まない社会にあてて語った繰り返し取り出される遺書(紹介文)


★ヨシフ・ブロツキイ著「私人 ノーベル賞受賞講演」より
※63年国内流刑、72年米国亡命、87年ノーベル文学賞(1940~96)。