さば 雲

友がひとりまた一人消えて思い出だけ残る。過ぎてしまえばこの世は残り少なく、今頃ひとりじたばたしている 。

あの世からの手紙

  ふるい自画像(25才)

 油絵    8号 1978年作


 いったいに、母は郵便に信をおく質で、お金は郵便局に預けるのがきまり、父のお棺にも五十円分の郵便切手を入れたぐらいである。昭和十四年ごろの五十円は大金だ。小学校の初任給がちょうどそれぐらいだったし、アンパンなら一千個も買える。「もったいない」と、だれもが止めたが、彼女はきかなかった。
「夫は筆まめな人、きっと手紙を書いてくれます」
 このあたりはまだ、夫を亡くして気が動転しているから仕方がないですむが、四十九日が過ぎてもなお、郵便がくる時刻に門口に立っているようになると、世間は、「ひょっとしたら変人ではないか」と噂するようになる。
そのうちに、「四十九日のあいだ、この世とあの世をさまよっていたが、今日は、無事にあの世に着いた。これからは、郵便が出せないから、そのつもりで。夫より」と、親切が半分で悪戯が半分の葉書を送りつけてくる人も出てきた。
「悲しみに暮れている女をからかうなんて、この町には人でなしばかりいるよ。だいたい死人が葉書を書くものか」
 唇をふるわせて怒っているのを見て、いったい母は、あの世から郵便がくることを信じているのかいないのかと、大いに迷ったことを覚えている。


 ★井上ひさしベスト・エッセイ(井上ユリ編)より