固定観念
蟹 Ⅲ(路上のカニ) 色鉛筆 21ⅹ 21.5 cm 2018年作(再掲載) 人生は固定観念を習う時間ではない。自分が生きていく時間であり、自分が生きていく場だ。頭と行動を既成のありふれた固定観念で染めてしまうと、自分はいなくなる。自分の中に古い他人がたくさん詰まっているだけだ。そんな人に個... 続きをみる
権 威
顔 油絵 4号 1981年作 「どうせ盗むなら、人間の一番大切なものを盗んでやろうと思ったんです。で、いろいろ盗みをしているうちに、人間がいちばん大切にしているものがわかりましたの」 「ほう、そりゃなにかね?」 「権威です。人を思いのままに動かすことのできる、あるもの。ある人にとっては八の字ヒ... 続きをみる
トットちゃん
萎れた花 鉛筆 1986年作 「楽しいこと、不思議なこと、ワクワクすること」にあふれていた小学校生活。でも3年生の頃には戦争で食べものがなくなり、愛犬は軍用犬にするため徴発されていきました。「寒いし、眠いし、おなかがすいた」が口癖だったと言います。「一日の食料は大豆15粒だけ。本当にそれし... 続きをみる
母の入院
萎れた花 鉛筆 1986年作 半年ほど前、母の心臓の調子よくないことがあった。発作性頻脈といって、一時的に脈拍が二百を越すのである。直接生命に別状ないというものの、本人もまわりも不安になり検査入院ということになった。この大晦日で満七十歳になる母は息災な人で、お産以外は寝込んだことがない。入... 続きをみる
200ドルの命
蟹 Ⅱ 色鉛筆+ 20ⅹ 23 cm 2018年作 3歳の時、米軍嘉手納基地で働いていた父が、基地内で車に轢かれて亡くなりました。保証金はたったの200ドルでした。 「母は『父ちゃんの命はたった200ドルだったよ』とよく言っていました。いまでも米兵による事件はよく起きるのに、基地に逃げ込めば手を... 続きをみる
文字のない葉書
蟹 Ⅰ 色鉛筆+ 2012年作 終戦の年の四月、小学校一年生の末の妹が甲府に学童疎開することになった。すでに前の年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開していたが、下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったのである。ところが三月十日の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの... 続きをみる
隠 蔽
頭 部 油絵 6号 1981年作 「嫌な事件だったね。ぼくは夢中になって記事を書いていたが、しまいには、だんだん嫌になって来たよ」 田原典田は、酒を喉に流していった。 「これで税務署も、少しは反省するだろうか?」 時枝が言った。 「反省するもんか。一つの悪事が出れば、もっと巧妙に立ち回るだけ... 続きをみる
あの世からの手紙
ふるい自画像(25才) 油絵 8号 1978年作 いったいに、母は郵便に信をおく質で、お金は郵便局に預けるのがきまり、父のお棺にも五十円分の郵便切手を入れたぐらいである。昭和十四年ごろの五十円は大金だ。小学校の初任給がちょうどそれぐらいだったし、アンパンなら一千個も買える。「もったいない」と、... 続きをみる
一杯の焼きそば
萎れる花 (ポピー)3 鉛筆 1986年作 私も四十近くになっていた。 内職のないとき、麻雀でもするほかに心のやり場がなかった。また将棋を指して自分を忘れようとした。 麻雀は以前、印刷屋の徒弟として入ったとき、そこの主人が好きで覚えさせられたものだ。夜業が終わって卓を囲むと、夜中の一時をす... 続きをみる
健康格差 ?
萎れる花 (ポピー)2 鉛筆 1986年作 健康格差とは、生まれ育った環境、就いた職業、所得などが原因で、病気のリスクや寿命の長さの違いが生まれてしまうことを指します。 現代人は、値段の安い糖質中心の加工食品を食べる機会が多く、相対的に値段が高い野菜果物を摂取する機会が少なくなっています。日... 続きをみる