たしかにアホと戦うのは面倒だ。議論して勝ったところで連中は改心しないし、逆恨みされるだけ。時間の無駄だし、ストレスの原因にもなる。合理的に考える人間は戦わないと思う。
しかし、それでも戦っている人たちがいる。合理よりも大切なものがあると考えるからだろう。
(中略)
賢者ツアラトウストラは、バカに説教しても無駄だと俗世に呆れ果て隠遁する。しかし、それでも人間の可能性を捨てきれず、再び語りだす。そこにあるのは人間愛、人類愛だ。守りたいもの、愛するものを持っている人間は戦う。それはニヒリストが考えるようなカネで換算できる価値ではない。
程度の差こそあれ、人間の営みとはそのようなものだと思う。自宅の前にゴミが落ちていたら、ほうきとちり取りで掃除をする。放っておけば風で吹き飛んでいくかもしれないし、誰かが片付けるかもしれない。掃除をしたところで時間がたてばまたゴミが増えていく。それでも掃除をする。
これも日々の生活に対する愛だ。
バカと戦ったところでバカがいなくなるわけではない。社会のダニを批判したところで、日本がよくなる保証もない。それでも、目の前にあるゴミは片付けなければならない。
◆適菜収著「それでもバカとは戦え」より