さば 雲

友がひとりまた一人消えて思い出だけ残る。過ぎてしまえばこの世は残り少なく、今頃ひとりじたばたしている 。

ながい道

 マンゴー(宮古の思い出)

 色鉛筆  A4 2003年作(宣伝チラシ下書)


 「建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考える人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである。勝利は愛情の結実だ。……知能は愛情に奉仕する場合にだけ役立つのである(サンテグジュペリ)」
 人生のいくつかの場面で、途方に暮れて立ちつくしたとき、私を支えつづけてくれた。いや、もうすこしごまかしてもいいようなときに、この文章のために、他人には余計と見えた苦労をしたこともあったかもしれない。 自分にとっては人間とその運命にこだわりつづけることが、文学にも行動にも安全な中心をもたらすひとつの手段であるらしいと理解するまで、ずいぶん道が長かった。


 「神に呼ばれる」とか「神だけにみちびかれて生きる」というような表現は、キリスト教の伝統のなかではごく日常的に用いられるもので、私がカテリーナの伝記を読んだころ、カトリック教会では一方的に「修道女として生きる」という意味に解釈されていた。でも、カテリーナは修道院には入らない。髪を切りはしたけれど、彼女は、学問をおさめ、政治にまで関与した。
「神だけにみちびかれて生きる」というのは、もしかしたら、自分がそのために生まれてきたと思える生き方を、他をかえりみないで、徹底的に追求するということではないか。私は、カテリーナのように激しく生きたかった。


 ★須賀敦子著「遠い朝の本たち」より

被 爆

 W  さん

 水彩+ パソコン  1984年作のリメイク


 原爆は今なお、被爆した人の体の中で爆発を続けている。というのは、今年もまた原爆症で亡くなった方がいるからで、半世紀以上たった今でも被爆の全体像が見えないのです。こうして、この兵器は未来を考える人間の力を封じてしまう。原爆とは、そんな、特別な爆弾です。あのとき、どんな人類史的な出来事があり、人の意識がどうかわったのか。それをさまざまな人がさまざまな形で再構成して伝えていく必要がある。僕もこの点にこだわってきたが、なかなか作品にはできませんでした。


 やっと書き上げたのが、被爆した父と娘を描いた「父と暮らせば」(1994年初演)だった。あの芝居を書く直接のきっかけは、二つの言葉でした。

ひとつは、広島の原爆投下に関する昭和天皇の「広島市民には気の毒であるが、やむをえない」という一言(1975年10月31日)。

もうひとつは、中曽根康弘首相(当時)が広島の原爆養護老人ホームで原爆症と闘う方々に「病は気から。根性さえしっかりしていれば病気は逃げていく」と語ったこと(1983年8月6日)。

これを聞いたときにキレて、どうしても書かねばと思いました。


  ★井上ひさしベスト・エッセイ(井上ユリ編)より

同語反復

 犠牲者

 油絵+ パソコン   1982年作のリメイク


 …この「皆と違う表情」を獲得することにこそ、個人として生きる意味があるのではないでしょうか。と言うのも、われわれは言わば遺伝的に、この「皆と違う」状態に対して準備されているからです。
書き手であるか、読み手であるかにかかわらず、ともかく人間に課された仕事は何よりもまず、自分自身の人生を生き抜くこと。外から押しつけられた人生、指示された人生は、それがどんなに上品に見えるものでも駄目なのです。人生は誰にとっても一度限りのものであり、それがどんな風に終わるか、われわれはよく知っています。
この唯一のチャンスを他人の外見、他人の経験の模倣のために、つまり同語反復のために浪費してしまったら、さぞくやしいことでしょう。
しかも、歴史的必然性の宣伝者たちは人をそそのかしておきながら、いっしょに棺桶に入ってくれるわけでもなく、「ありがとう」も言わないのですから、ますます腹が立ちます。


   詩人という現代の孤独な少数者にとって、残された最善の行為は良い詩を書くことであり、その詩に目を向けず、人々の口をついて出てくる決まり文句に水準を合わせる社会は、やすやすとデマゴギーと暴政にひざまずく。
社会という名の多数派が猛威をふるう時代の中で、一人の詩人であることを選択しつづけたブロツキィが、詩の言葉を読まない社会にあてて語った繰り返し取り出される遺書(紹介文)


★ヨシフ・ブロツキイ著「私人 ノーベル賞受賞講演」より
※63年国内流刑、72年米国亡命、87年ノーベル文学賞(1940~96)。

固定観念

 蟹  Ⅲ(路上のカニ)

 色鉛筆 21ⅹ 21.5 cm 2018年作(再掲載)


 人生は固定観念を習う時間ではない。自分が生きていく時間であり、自分が生きていく場だ。頭と行動を既成のありふれた固定観念で染めてしまうと、自分はいなくなる。自分の中に古い他人がたくさん詰まっているだけだ。そんな人に個性などないのも当然だ。
 定年を迎えた人が「第二の人生」と称して、俳句だの絵画だのエッセイだのを始める。彼らは誰もプロにはなれない。下手な俳句、下手な絵画、下手なエッセイ。なぜ自分が下手なのか理由さえ知らない。
 その理由はシンプルだ。固定観念で物事に当たっているからプロになれないのだ。俳句とはこういうものだ、絵画とはこう描くものだ、という固定観念しか頭の中にないのだから仕方がない。


 人が何かクリエイティブなことをして成功したいなら、必ず概念、固定観念、常識といったものを超越しなければならない。名人や芸術家というのはそれを果敢にやってきた人々のことなのだ。固定観念の再現とか人の真似事がクリエイティブであるわけがないのだ。
 誰もの固定観念にある何か、ではなく、自分の中にある何かを表現することがクリエイティブというものだ。
 そして、多くの人がつい忘れがちになっていることだが、この世を生きていくこともまたクリエイティブなことなのだ。


 ◆白取春彦著「人生がうまくいく哲学的思考術」より