テレビは終わる?
萎れた花(ポピー) 1
鉛筆 1986年作
さて、私はいったいいかなる立場を代表するコメンテーターとしてお声がけ頂いているのだろうか。おそらく世間からは「ちょっと変わったことを言うリベラル派言論人」辺りに位置づけられているのだと思う。自民党と維新をずっと批判してきているし、共産党の候補者の推薦人になっているし、『若者よ、マルクスを読もう』というような本も書いているから。でも、私自身は自分のことを「右翼」だと思っている。天皇主義者で、「権藤成卿論」を執筆中で、滝行と禊に勤しみ、武道を教えて生計を立てている人間を「左翼リベラル」とはふつう呼ばない。
二つのネット媒体に出て「テレビはもうすぐ終わる」という思いを強くした。民放はCMを観る代わりに無償で質の高いコンテンツを享受できるというよくできたビジネスモデルだった。
でも、「質の高い」という条件がいつの間にか失われてしまった。「あんなものより、金を払ってもいいから質の高いものを観たい」という人たちが身銭を切ってサポーターになり、ネット媒体を財政的に支えている。
小さいが個性的な媒体が今次々と生まれている。いずれいくつかのトピックについてはテレビよりネット媒体の方が情報の信頼性が高いと言われる時代になるだろう。
この現状を見ていると、絶滅に瀕した恐竜の足元を小型齧歯類が走り回る地質学的転換点を連想してしまう。
☆内田樹「AERA」巻頭エッセイより
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