一杯の焼きそば
萎れる花 (ポピー)3
鉛筆 1986年作
私も四十近くになっていた。
内職のないとき、麻雀でもするほかに心のやり場がなかった。また将棋を指して自分を忘れようとした。
麻雀は以前、印刷屋の徒弟として入ったとき、そこの主人が好きで覚えさせられたものだ。夜業が終わって卓を囲むと、夜中の一時をすぎたりする。そのときに近所の仕出しからとるお仕着せの焼きそばの一杯が、世にこんなうまいものがないと思われるくらいにおいしかった。汚い仕事着のままで胡坐をかいてすする中華そばの味は、なんともいいようがなかった。自分で金を出して焼きそばが食える身分ではなかった。
ある貧乏な老婆が世をはかなんで自殺を思いたち、死場所を求めて歩く途中、最後の思い出にいっぱいのぜんざいを食べた。老婆は、世の中にこんなおいしいものがあるのかと思い、死ぬのをやめたという話を聞いたことがあるが、私の経験から、それほど誇張された話とは思えない。
◆松本清張「半生の記」より
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。